ひきこもりのひとりごと

40代ニートの生態や思いを書いてます

不意うち

今日母親が死んでしまうかもしれないと考えることがある。

誰にでも起こりえること。

玄関を出てすぐ転んで頭を打ってしまうかもしれないし、急に病に倒れてしまうかもしれない。

一番悲しいのは、そういう事が起こっても誰も気が付かない事。

倒れているのに長い間誰も気づかないこと。

倒れている人もかわいそうだし気づけなかった人もかわいそうだ。

誰に何が起こるかは分からない。

でもそう思っているときはそういう事は起きないんじゃないかと自分は思う。

大切な人が出かけるとき、事故にあうかもしれないと思った日は事故は起きないし、

もしかしたら部屋で倒れているんじゃないかと思った時は倒れていない。

不幸は人が油断しているときに不意に、意地悪く訪れる。

たまたまその日忙しくて心に余裕がなかったり、体調が悪く疲れてイライラしていたりして大切な人を気遣う気持ちがちょっと足りなかった時などに。

だからいつも、常にそう思っていれば、油断せず毎日備えていれば起きないんじゃないかと。

それが難しいことは分かっている。

 

でも自分が死ぬとしたらぽっくりいけるのが一番いい。

苦しんで死ぬよりも。

でも周りの人にはそれはつらい。

まだ若くやりたいことがたくさんある人にもつらい。

ぽっくりいきたいというのはわがままなんだろうか。

苦しくても周りの人に心の整理をする時間を作るべきなのだろうか。