ひきこもりのひとりごと

40代ニートの生態や思いを書いてます

散歩しながら思ったこと

池の水鳥が小魚を捕まえて食べていた。

ぴちぴちとした魚をうまそうに飲み込む鳥を見て、貴重な場面が見られたと喜んだ。

その時ふと思い出した、最近見たタヌキと思われる動物の死体を。

車にはねられたのを誰かが道のわきの繁みに移したのであろう物だった。

「かわいそう」と感じた。

最近3回その動物の死体を見て毎回そう思った。

でも鳥に食べられる魚を見てもかわいそうとはあまり感じなかった。

この違いは何だろう。

たまに池に浮かんでいる魚の死体を見ても、感じるのは「なんで死んだんだろう」で、

かわいそうとは思わない。

でも鳥やタヌキが死んでいればかわいそうと思う。

トカゲやカエルや虫が鳥などに食べられていてもかわいそうとはあまり思わない。

でもシマウマがライオンに食べられたり、小鳥がヘビに捕まったりしていたらかわいそうだと思う。

毛が生えているか生えていないか?

それもあるかもしれない。

同じ哺乳類だとかわいそう?

でもたとえば、ゾウが死んでいるのとネズミが死んでいるのとでは感じ方が違うと思う。

その違いは?

見た目の可愛さ?

これは当然あるだろう。

可愛いものと可愛くないものに対しての残酷な区別が人間にはある。

でもそれは母性本能にもつながるから悪いとも言い切れない。

知能の高さ?

ここにポイントがあると思う。

捕鯨やイルカ漁に反対する人の理由の中に、こんな知能の高い動物を食べるなんて、という意見もあった。

犬肉を食べる文化のある地域への批判の中にも、同じような意見があった。

知能が高い=心がある。

つまりその動物がどれくらい不安や恐怖、痛みを感じているかということか。

しかしそれは人間には想像でしかない。

ということは、その動物が感じているであろう恐怖や痛みを、人間が勝手に想像し共感できるかが、「かわいそう」と思うか思わないかの違いなのかな、と散歩しながら考えた。ほかにもいろいろくだらないことを考える時間。

 

今日のスウィーツ ローソンのショコラクッキーサンド